一隅(いちぐう)を照らす |
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更新日時: 2006年06月09日 |
「一隅を照らす」という言葉を聞いたことがありますか。
この言葉は比叡山を開かれた伝教大師・最澄が、著書である『天台法華宗年分学生式』の中で書かれた言葉です。私、京都にある大学を出ましたので、仏教文化にも興味があり、何かの折に耳にしたことがあったのでしょう。印象に残っている言葉ですが、その意味は次のようなものです。最澄が比叡山に天台宗を開くにあたって、人々を幸せに導くために「一隅を照らす国家的人材」を養成したい、とこの著書の中で述べました。
一隅とは足許のこと。非常に狭い範囲のことを指します。金銀財宝を蓄えるような人材が国の宝なのではなく、家庭や職場、あるいはあなたが今いるその場所を明るく光り輝くような環境にできる人間こそが国の宝になる、と最澄は力説したわけです。
私にとって「今いる場所を明るく輝く場所にする」とはどういうことを意味するのでしょう。それは私を頼ってくるお客様の心の痛みを理解し、生きる希望を共に見出す努力を惜しまないこと、と私は思ったのです。
ともかく、私は医者でも薬剤師でもなく、その意味でいくと医療とは直接関係ありませんが、健康食品を扱う仕事をしています。とくに「紫イペ」という南米のアマゾン川流域で育つ大木から採取された内部樹皮を原料にした健康食品を販売しています。蛇足ですが、以前は医師になっていたらと思ったこともありました。しかし今は違います。医師にならなくてよかったと思っています。この真意は読み進まれていくとお分かりいただけるでしょう。
とにかくこの仕事を通して、難病に苦しむ患者さんや家族の人たちの心を癒すことができるようベストをつくす。これが一隅を照らすことに通ずると考えるようになりました。